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目的を達するためなら手段を選ばない支那人

1:済南事件 :

2024/02/25 (日) 22:21:10

『済南事件』Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%8D%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6#:~:text=%E6%B8%88%E5%8D%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6%EF%BC%88%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%98,%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%9F%E6%AD%A6%E5%8A%9B%E8%A1%9D%E7%AA%81%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%82

>済南事件(さいなんじけん、支那では五・三惨案)は、1928年(昭和3年)5月3日(木)午前9時半頃、支那山東省の済南における、国民革命軍の一部による日本人襲撃事件、および日本の権益と日本人居留民を保護するために派遣(第二次山東出兵)された日本軍と、北伐中であった蔣介石率いる国民革命軍(南軍)との間に起きた武力衝突事件[1]。

>南軍の正規兵士約30人[1]が麟趾門街にある満州日報取次販売店の吉房長平方を掠奪、主人を暴行した。南軍兵は駆けつけた日本人巡査にも暴行を加えたため、久米川好春中尉率いる日本軍約30人[1]が現場に赴くと掠奪兵はただちに自分の兵舎へ逃走。それを追った日本軍に対して歩哨が射撃してきたので日本軍は応戦し、歩哨を射殺。それをきっかけに戦闘となり、支那兵による乱射掠奪は一挙に市中に拡大した。まもなく停戦の申し合わせができたが、支那軍はこれを無視し、白旗を掲げて停戦を呼びかける日本軍使さえ射殺する暴挙に出た。

>略奪などの被害がほとんど日本人のみに集中しており、第6師団参謀長は「午前十時を期し一斉に開始せられたること、および小部隊に至るまで手榴弾を分配しありしことなどより見るに、相当計画的に行われたること明らか」であると見ており、師団長も「略奪の背後には隊伍を整えたる大部隊あり、白昼隊伍を組み略奪を行う如きは組織的に計画されたること明らかなり」と述べている。また第6師団の戦闘詳報には次のように書いてある。

>日本人居留民の被害状況

>1.(40歳、土産物商)--頭および顔の皮膚を剥がされ、眼球摘出。内臓露出。陰茎切除。
>2.(桐材商)--顔面に刺創。地上を引きずられたと思われる全身擦創。
>3.(28歳、土産物商)--両手を縛られ地上を引きずられた形跡が顔面にあり。頭骨破砕。小脳露出。眼球突出。腹部射出口より約二尺ばかり小腸露出。
>4.(24歳)--全顔面及び腰部にかけ、皮膚及び軟部の全剥離。乳房に刺創。肋骨折損。陰部に木片挿入あり。
>5.(雑貨商)--左脇腹から右脇腹に貫通銃創。
>6.(30歳、雑貨商)--顔面破砕。両眼を摘出し石を詰める。上膊部に刺創。左股に貫通銃創。
>7.(55歳、土産物商)--胸部貫通銃創。肩に刺創数箇所。頭部に純刀による切創。陰茎切除。
>8.(34歳、土産物商)--頭部にトビ口様のものによる突創。頭蓋骨骨折。腹部を切り裂かれ小腸露出。
>9.(28歳、土産物商)--顔面壊滅。頭骨粉砕。全身に無数の刺創。右肺貫通銃創。
>10.(50歳)--肋骨損傷。右眼球突出。全身火傷。左脚下が脱落。右足の白足袋で婦人と判明。
>他の二体は顔面を切り刻まれた上に肢体を寸断されたため、人定は不可能だった[18]。

>日本人惨殺状況に関する外務省公電には、「腹部内臓全部露出せるもの、女の陰部に割木を挿し込みたるもの、顔面上部を切り落としたるもの、右耳を切り落とされ左頬より右後頭部に貫通突傷あり、全身腐乱し居れるもの各一、陰茎を切り落としたるもの二」とある[21]。

>佐々木到一は「予は病院において偶然その死体の験案を実見したのであるが、酸鼻の極だつた。手足を縛し、手斧様のもので頭部・面部に斬撃を加へ、あるいは滅多切りとなし、婦女はすべて陰部に棒が挿入されてある。 ある者は焼かれて半ば骸骨となつてゐた。焼残りの自足袋で日本婦人たることがわかつたやうな始末である。



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